愛宕山 常瀧寺

愛宕山 常瀧寺 【丹波市】

Tel:0795-87-5145

水子供養や護摩祈願・永代(合祀)墓のご案内は、確かな実績のある兵庫県丹波市の常瀧寺へ。

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ちけん和尚のコラム

ちけん和尚のコラム

 
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2016/01/19

法事の三要素

以前から田舎の方と都会に出ておられる方では随分と法事に対する感覚が違うことを少し残念に思っていた。先日も都会に住んでおられる信者さんから電話があって、この二月の十四日の日曜日に法事の依頼を受けたばかりである。ところが、「午後一時からお願いします」と言われるので、思わず「えっ!」と聞き直してしまった。田舎では午後からの法事は考えられないからである。

その施主さんとは昨年に縁があって知り合ったばかりであるが、おそらく自宅へ僧侶を招いて読経してもらうのが法事と思っておられるのだろう。都会ではそれが一般的な法事として定着しているので仕方ないが、本来の法事からすると、かなりの省略で田舎の法事とは大きな隔たりがある。

それは施主様だけではなく僧侶にも言える。田舎でもたくさんの檀家様を抱える寺院では、都会のように簡略化しなければ法事などの壇務を消化して行けない現実があるからだ。だからこそ、本来の法事の持つ意味合いを認識しておく必要があるのではないだろうか。 

 法事には三つの要素がある。一つは住職にお経をあげてもらう法供養、二つ目は塔婆を書いてもらって仏前に供え、法供養の後にお墓へ持参して建立する墓参供養、三つ目は僧侶を含めた参会者を料理で接待するお斉(とき)の三つである。田舎ではこの他に、墓参の後に菩提寺へ仕上げ参りをするのが習わしで、この後に食事の席を設けるのが一般的だ。

このお斉(とき)は、故人の縁によって一緒に参会者が食事することで精進の心を養う意味がある。また仏教では六波羅蜜の一つの財施という布施行でもある。法事の中ではなおざりにされる傾向にあるお斉であるが、しっかりと法事の三つの要素を認識しておくことが大切である。

また、参列の方々やお寺さんに粗供養の品を用意したい。粗供養は法事の証であり、故人からの法事へ参列した人へのお礼の意味がある。昔と違って親族のつながりが希薄化してきているが、せめて故人に縁のある方々や親族が集まって会食をしながら故人を偲びたいものだ。何よりも故人から脈々と流れているいのちに思いを致し、遠い祖先から自分に繋がる縁の不思議さに感謝するのも法事の一つの意義ではないだろうか。

2015/12/22

僧侶への道

私はこの道〔仏道〕に入るのに随分と遠回りをしてきた。修行が終わるか宗門の大学を卒業すれば僧侶の道を歩むのが一般的であるが、その時点では全く僧侶に興味がなく他の事をしたかったからだ。今から思えば長男として寺に生まれ育ったことが嫌で、少し逃げたい気持ちがどこかにあったのだろう。

サラリーマンをしながら、お盆や正月など忙しい時だけ家業の寺を手伝うことに煩わしさを感じながらも、半ば諦めのような気持と惰性で、大学を出てから僧侶になるまで二十数年もかかっていたのだ。その間、このままサラリーマンを続けたいという気持ちが強くなる一方であったが、一つの転機は結婚して子供が生まれ家族ができたことにある。家族ができたことによって 当時の自分を見つめ直すようになり真剣に将来を考えるようになった。

そのままサラリーマンを続けた方が安定した生活が送れたのは言うまでもない。このままでいたいという気持ちと、父親ができなくなったらどうするのかというそんな葛藤の日々が三年余り続いただろうか。いつまでもそんな中途半端な生活ができるわけもなく悶々としている時、 仕事で長野県へ行くことになった。私の運転する自動車で出かけたのであるが、名神高速道路の関ヶ原のあたりで事故に遭ったのである。

三月の終わり頃とはいえ、二日前に降った雪が路肩に残っており、私はゆっくりと制限速度で走っていたが、突然前方に二台の大型のトラックが追突事故を起こし、走行車線と追い越し車線の両方をふさぐ形で横向きになっていた。私はそのすぐ後ろを走っていたのであるが、少し車間があったので余裕をもって止まることができたが、そのホッとした瞬間である。バックミラーに猛スピードで突っ込んでくるトラックが映ったのを記憶しているが、脳震盪を起こしていたようで気がついた時には彦根市内の病院のベッドの上であった。

数時間の記憶がなく頭が少し痛んでいたが、幸い手足のすり傷と 軽い打撲の他に頭を六針縫っただけで済んだ。入院を医者から強く勧められたが、私にしかわからない仕事が入っていたのでその日のうちに自宅へ帰らせて頂いたのである。後日、現場検証に立ち会い警察の事情聴取を受けたのであるが、その事故の大きさに驚くばかりだった。自動車は前半分が残っているだけで、後ろは完全にスクラップになっている。トラック五台と私の自動車が関係する事故で、確か私は三台目のはずと思っていたのであるが、車は事故車の一番先頭に停まっていたそうだ。

激しく後ろからぶつけられたにもかかわらず運よく左にはじき出され、狭い路側帯を通り抜けて一番前に出たらしい。それが助かった大きな理由である。そのまま真っ直ぐ後ろからぶつけられていたら前のトラックに挟まれてサンドウィッチになっていたに違いない。警察の方や多くの方は誰も「助かったのは奇跡的」と言っておられたが、当に何か不思議な力が働いたのだろう。
時間の経過と共に、仏様に助けて頂いたに違いないと感謝するようになった。何としてでも僧侶になって仏様にお仕えしなければ申し訳ない、寺に育った仏縁に感謝して仏道を歩ませていただこうと強い決心をした出来事であった。

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